あまり映画を見るほうじゃないけど子供がいるからなのか時々ふと思い出す映画「八日目の蝉」
特に印象に残って人に熱く語りたいシーンがあるわけじゃないが映画を見終えた後の答えのないざわざわした気持ちがくすぶって残り、今でもぼんやり適当なシーンを思い出す。
何を伝えようとした映画なのか今でもわからないけどこうして心に刺さった映画ではある。
八日目の蝉:主演の永作博美
当時「可愛すぎるアラフォー」として瞬く間に再ブレイク?を果たしテレビをつけても永作博美、化粧品の広告も永作博美な時があった。
それまでもテレビには出てたと思うんだけど完全にプロミスの人になりかけてたので永作博美に染まるメディアを見て「老けないって永遠の欲望なんだなぁ」って思ったりしました。
たぶんそんな時にたまたま「あ、永作博美」と目に止まったのが映画を見たきっかけだと思う。
八日目の蝉を見る前の情報はキャッチコピーに書かれていたメッセージとあらすじのみ。
愛人に子どもを誘拐されて、そのまま育てられた…正直あらすじを読んで絶対見たいって思えるものじゃなかった。
ハッピーな展開かどうかわからなかったし見終わって胸糞悪くなるくらいなら見たくないかもなぁって数日寝かせました。
まぁでもざわざわする映画が見たくなる気分の時もあるじゃないですか、その時に「よし行くか!」って感じでテレビの前に鎮座。
映画は終始なんだかほの暗いけどどこかノスタルジーで温かみがあって泥臭い人間がちょこちょこ出てくる感じ。
現在と過去をいったりきたりする系の映画は「今どこ?なに?」と迷子になるついていけない系視聴者なんですが八日目の蝉は時系列的な表現がすごくわかりやすかった。
いい映画だと思ったけど見終わってから「楽しかった!」「これおすすめ!」といった気持ちになることはなくて、ただ黙ってずーーーっと頭の中が八日目の蝉になった。
八日目の蝉:誰の視点で見るか
誰の視点で見ても幸せな気持ちにはなれない。
映画は永作博美演じる希和子(きわこ)でを軸で進むので希和子視点が多い。
成長した娘(井上真央)で現実世界が進むけど映画の主人公は希和子だなって印象。
誘拐された娘の視点では見れない
まず誰の視点で見ても幸せにはなれないと言ったけど娘の視点になることはできなかった。
誘拐されたことがないし、想像もできない。
何より登場人物の誰より無の状態(生後6か月)で彼女の人生(物語)が始まっているので最初から最後まで何も知らない被害者としてしか見れなかった。
想像力がないから見れないだけと言われればそれまでなんだけど、どうしても想像できる気持ちが少なすぎて無意識のうちに被害者なんだなぁって上から見てしまう。
永作博美演じる希和子視点
私はこの視点では見ることができなかった。
理由はたぶん自分に旦那と子どもがいる妻サイドの立場だからだと思う。
映画は基本的に希和子メインで進むので何も考えずに見たら全員が希和子視点、それも希和子の味方になるように誘導されてる気がした。
愛した人には結婚している女性がいて自分は不倫相手だった。
相手の男が絶妙に頼りないクズ野郎でどうしようもないんだけど愛って難しい。
映画は別にクズ野郎を責めるような展開には一切ならないのでやることなすこと全てがクズだけど存在感は薄くて怒りの矛先は向きにくい。
希和子は不倫の果てに、相手の子どもを誘拐するという暴挙に出るんだけど普通に考えたら頭おかしい。
しかしそこも計画的な誘拐ではなくあくまでも衝動的にカッとなって後先考えず気が付いたら誘拐をしてしまっていた…みたいな演出。
永作博美の持つ可愛くて可憐なオーラを全開にして不倫や誘拐はしちゃったけど「根は超絶良い人、むしろ母」というスタンスで強引に進む。
誘拐って最低な行為のはずなのに永作博美の演技力で序盤からその背景は消され、途中から「この子は誘拐されるべきだったんだのでは?」と錯覚しかける。
そう思うのも、ちょこちょこ出てくる妻がまぁーーヒステリックで嫌な女に描かれてる。
あぁこの女には母性がなさそうだ、希和子に育ててもらえてよかったねと言い出す人が出てきそうなくらい嫌な女な面が強い。
警察から逃げながら隠れて必死に暮らす健気オーラ全開の希和子と娘が2人で幸せそうにしてるシーンなんて温かく見守りそうになる。
いや、誘拐犯な。
うっかり騙されるところだったけど、それ人様の子ども。
そんなわけで私は希和子がどんなに苦労しながらも明るく生きて、一生懸命子育てをしてる姿を見せつけられても彼女の背景がアウトすぎて理解してあげることはできなかった。
不倫相手の妻が事故で死んでしまって不倫男が子供を放置したから仕方なく母性で育てたって設定なら180度変わってくるんですけどね。
でもそれだけで終わりにさせない映画の作り方で、八日目の蝉で検索をかけても希和子を悪くいうレビューばかりじゃないのが面白いところ。
子どもを誘拐された妻視点
この視点で見るのが1番地獄。
夫と不仲とかヒステリックで性格に問題ありな女性だったとかはわからないのでとりあえず置いておく。
まぁ希和子の心に消えない傷となった暴言を吐いたのは事実らしいけど、不倫相手に暴言くらい吐くと思うんだよね。
海外の不倫番組なんて殴り合いの罵り合いがセオリーなくらいじゃないですか。
不倫が発覚したその瞬間に「夫の裏切り行為ありきの生活」が思い知らされるわけで、女性にとっては自分の人生を破壊されたようなものだと思うんですよ。
不倫されてた期間だけを裏切りって思えるならそれはそれでありなのかもしれないけど、いつから不倫をするほど心が離れてた?何が原因?なにをもって戻ってくるといえるの?忘れたくてもなかったことにはできない。
絶望ですよ。
でも今回はそんな生ぬるいもんじゃないですからね。
生後6か月の子どもをその不倫相手に誘拐されて4歳になるまでの人生を奪われる。
生後6か月なんて可愛くてたまらない時期で毎日できることが増えて現代ならSNSのみてみて更新がとまらないくらいの頃。
子どもは永遠に可愛さを更新し続けてくれますが4歳までの成長ってほんとうに尊くて赤ちゃんから幼児に、幼児から少しずつ子どもになっていく濃厚な時期。
ここをごっそり他人に奪われて、どういう気持ちで過ごしたのか想像もつかないけど簡単に考えても死にたい。
4歳のころ希和子が逮捕されてやっと再会した娘は自分のことを母親とは思ってくれず泣き叫ぶ。
4歳までの人生を全て希和子に奪われたから本来なら溢れるくらいあるはずの2人の思い出がなにひとつない。
「おほしさまのうた歌って」とお願いされて歌ってあげても「それじゃない」と泣かれる。
死にたい(2回目)
こんなつらいことある?って胸が張り裂けそうになるのに映画だとそう思わせない。
ヒステリックでキレ散らかす母性のかけらもなさそうな実母と怯える娘。
そんなとき思い出される母性の塊みたいな優しい笑顔の誘拐犯で他人の希和子と幸せそうな娘。
どう考えても映画を見てた視聴者は希和子時代に戻りたいって思ったんじゃないかと思います。
誘拐犯は逮捕され、子どもは母のもとに戻ったのに誰も幸せじゃない。
八日目の蝉で考えることは血と母性
この映画が何を伝えようとしてるのかわからなかったけど、親子の絆や母性について自分の頭で今一度考えようってことなのかなと。
お母さんだから大好き。
子どもだから大好き。
お母さんだから母性がある。
そんな単純じゃない母性がそこらじゅうにあるんじゃないかって。
育ててくれたお母さんは血のつながりのない他人だった。
産んでくれたのはお母さんだけど愛情が伝わらない。
訴えようとしてるテーマはすごく深くて子育てをしながら八日目の蝉をふと思い出すのもしっかりテーマが刺さったからだと思います。
相手としっかり向き合って生きていくことが愛情であり母性なら希和子は全うしたかもしれない。
でも八日目の蝉に関しては子供をいきなり奪われた妻がどんなにヒステリックの魔女みたいに作中で描かれていても思い返すとあまりに不憫。
児童虐待やネグレクトの走りがあったならまだしも、生後6か月の子供を母親から4年近く奪った希和子の罪はどんなに真摯に子育てしたとしても、残酷で自己満足の塊で、えぐいとしか言えない。
この映画を見てから母性について考え、子供に母性モリモリで接するようになりました、なんて口が裂けても言えないんだけど(おい)母性どうのこうのじゃない、子供こそ親に絶対の愛情を向けてくれている。
叱っても機嫌が悪くても「お母さん」って手を広げてくれるのは子ども。
だからこそそこに甘えてはいけないなって八日目の蝉をふとしたときに思い出すんだと思います。
【おまけ】八日目の蝉を見てから
子どもの寝顔を見ながらこの絵本を読むと鼻水がでるくらいボロ泣きします。
育児で疲れてカリカリしてる心のリセットにとてもいい涙が出てスッキリするので子どもの絵本というより大人の絵本として「はっ」とします。